リレーエッセイ

私と漢方との出会い

私と漢方との出会い

リレーエッセイ | 第7号投稿記事(2023年5月)  髙村 光幸 先生

私と漢方との出会い

髙村 光幸

三重大学医学部附属病院漢方医学センター センター長

 私は幼いころ胃腸虚弱ぎみで、脂っこいものを食べ過ぎるたびに胃がもたれ、よく謎の苦い粉薬を祖母に飲まされていました。その薬は、莪朮(ガジュツ)を主成分にした胃腸向けの生薬製剤でした。かなり苦いのですが、オブラートに包む方が飲みにくかったので、幼少の私はそのまま口に含んでは、ひどく顔をしかめていた記憶があります。風邪をひいたときには、葛根湯のエキス錠剤を飲むのが普通でした。なぜか家には、生薬製剤や漢方が多く置いてあり、一度ピリン系の風邪薬を服用した直後に調子が悪くなったことからも、ほとんど西洋薬は飲まなかった幼少期を過ごしたように思います。どうも、母の幼なじみである近所の薬剤師のおじさんが、漢方を好んで勧めていたのが影響したように思います。生薬系の独特の香りや味は、薬というものはそういうのが普通なのだと、私の記憶に刷り込まれたように思います。
 高校生のとき、親戚の死をきっかけに、人の生死に強い興味を持った私は、やや哲学的な思いを胸に医学部を目指しました。入学した三重大学医学部には、東洋医学研究会があり、他の運動部と同時に兼部したのですが、かつての生薬の香りを思い出すこともないまま、いずれもすぐに辞めてしまい、軽音の部活でバンド活動に明け暮れる日々を過ごしました。
 医師になっても漢方のことはすっかり頭から消えていましたが、5年目くらいのある日、花粉症を発症しました。鼻の穴が詰まって、不快でしょうがありません。抗アレルギー剤を飲むと、だるいし眠い。ふと、誰かから聞いた小青竜湯のことを思い出した私は、1回飲んで驚きの体験をします。飲んで数分しか経っていないのに、針の穴くらいに感じる閉塞した鼻腔が、みるみるうちに拡がって、かの有名演歌歌手の大きな鼻の穴以上になったように思えたのです。この経験は強烈でした。こんな優れた薬があるなら使わない手はない!と、いろいろな漢方講演会に足を運びましたが、一向にすっきりしません。こんな症状には○○湯、というCMのようなパターン認識の解説では、ちっとも面白くなかったのです。

 東京のある会で、ある漢方医と直接お話する機会を得た私は、どうやって勉強したらよいか訪ねました。その先生は、三重ならば多くの漢方医がいる。その中でも、ある先生が日本で一番くらいの先生だよ、とおっしゃるのです。本当に三重にそんな先生が?すぐさま情報を集め、四日市に医院を構える安井廣迪先生のもとへ電話をし、門を叩きました。穏やかで包容力のある先生は、快く指導を引き受けてくださいました。そして、足繁く安井医院へ通うこととなり、先生主催の合宿に参加したことで、漢方はこう学ぶのかと、目から鱗が落ちました。そして安井先生を通じて、多くの漢方の仲間との刺激的な出会いをすることになるのです。
 漢方の教育には、良き師が必要だと思います。漢方の勉強は面白い!に変えてくださった安井先生のような、良き漢方医、指導者になれたらと思っています。