広島大学病院 漢方診療センター 教授
研修医2年目の春、私は手術室で抗ヒスタミン薬が効かないアレルギー性鼻炎に困っていました。偶然手に取った小青竜湯で症状が劇的に軽快したことが漢方医学を独学で勉強するきっかけとなりました。その後、専攻した小児外科領域でも、漢方薬の効果を実感しました。鎖肛術後のAくんは、六君子湯をご飯にふりかけ代わりにして食べるようになってから食欲が改善して体重も増加しました。腸炎を頻回に繰り返していた短腸症候群のBさんは十全大補湯で入院回数が激減し、充実した高校生活を送ることができるようになりました。乳児期の脱水による脳梗塞により誤嚥性肺炎を繰り返していた食いしん坊のCちゃんは、半夏厚朴湯で経口摂取が可能になりました。
小児外科の臨床現場では、胆道閉鎖症をはじめとする難治性疾患を受け持ちました。生体肝移植などの術後管理困難症例や、予後があまりよくない患者さんの症状緩和に苦悩する日々を送りました。Hirschsprung類縁疾患のDくんは、腸管機能が悪化し、何を食べてもbacterial translocationを起こしてしまい、整腸剤を投与すると血液培養でビフィズス菌が検出されるような状態でした。その後海外で小腸移植を受けましたが、治療は奏効しませんでした。今までに学んだ医学では太刀打ちできず、腸管機能の重篤な低下を何らかの方法で予防できたのではないかと自問自答する日々が続きました。胆道閉鎖症術後の中学生のEくんは母より生体肝移植を受けました。腸管癒着がひどく、術後に腸管穿孔し、その炎症が血管に及び、持続的に出血していました。私が過労で休んだ時も主治医の私のことを心配してくれる優しい子でした。「調子はどう?」と聞くと、天井の血痕を指さし「出血が止まらず、あそこまで飛んだんだよ」と話してくれて、絶句しました。その後しばらくして、息を引き取りました。
自分の無力感にやりきれない気持ちになり、病気を「完治」することはできなくても、病状を「緩和」することにより、子供たちにより幸せな人生を送るお手伝いができないかと考え、漢方医として修練することにしました。まず、秋葉哲生先生の下で漢方医学研修を開始しました。1年間基礎を勉強した後、寺澤捷年先生の下で研修を受けました。漢方医学の奥深さを知り、専門とするようになり、江部洋一郎先生から『傷寒論』や『金匱要略』を理論化した経方理論を学び、現在に至ります。
元来外科手技が好きで、小児外科医に戻りたいという思いもありました。リンパ管奇形に対し越婢加朮湯が効能を持つこと、小児がん幹細胞移植後のGVHDに小児鍼が著効した症例の経験を経て、漢方医学を追究し、患者さんへ還元することを決意し、メスを漢方薬と鍼灸に持ち替えました。また、小児外科や小児科、耳鼻咽喉科、総合診療科など、漢方以外の領域を専門とする友人や先輩が、患者さんの症状を改善するという共通の目標に立って、漢方医学の必要性を理解し、時には叱咤激励しながら応援してくれたことも、私が漢方を追求する支えとなりました。
今後最も重要なのは、次世代を担う若者たちの教育です。私が医学教育を受けた時世には、漢方は医学教育モデル・コア・カリキュラムに含まれておらず、怪しさすら感じていました。今でも学生さんに「占いみたいですね」と言われることもあります。明日の日本と世界の舵とりを担う彼らに、日本の伝統医学である漢方を教育し、また国家間交流の機会、共に学ぶ場を提供することが必要です。多くの留学生を受け入れ、臨床・研究・教育活動の範囲を広げることも、国際平和に通じ、多様性を生かした、学びの場となります。平和都市である広島より、漢方医学を広めることができるよう全力を尽くします。