リレーエッセイ

私と漢方との出会い

私と漢方との出会い

リレーエッセイ | 第6号投稿記事(2023年4月)  野上 達也 先生

私と漢方との出会い

野上 達也

東海大学医学部 専門診療学系漢方医学 准教授

 本厚木駅前の有隣堂。最寄り駅前にあるこの本屋で雑誌を立ち読みするのが高校時代の私の習慣でした。高校二年のある日、私は普段はあまり行かない健康関連書籍のコーナーに立ち寄り、なぜかそこで黄色い装丁の「漢方医学(大塚敬節著)」を手にしたのでした。パラパラと読み始めると、謙虚ながら自信に溢れる大塚先生の語り口に妙に惹かれました。なんとなく胡散臭く見ていた漢方医学にしっかりとした理論背景と経験知があることを知り、なけなしの小遣いでその本を買い求めました。これが私と漢方の最初の出会いです。

 調べてみると富山医科薬科大学(現富山大学)の医学部が「東西医学の融合」を掲げて漢方医学を教育していることが分かりました。実は私はこの時まで医学部志望ですらなく、将来が見えず悶々としていたのです。突然に目の前の霧が晴れて目標が現れたように感じたのを、昨日のことのように覚えています。

全医体 準優勝で胴上げ

 二回目の漢方医学との出会いは富山医科薬科大学入学直後に起こりました。小学生の頃からずっとサッカーをしていた私は大学でも迷わずサッカー部への入部を決めたのですが、その新歓コンパに当時サッカー部の顧問であった寺澤捷年先生が出席しておられたのです。

迂闊にも寺澤先生のことを存じ上げなかった私は「なんでお前は富山に来たのだ?」と聞くその人に「漢方に興味を持ったからです」なんてことを口走り、コンパの終わる頃には寺澤先生と「和漢診療部に入ります‼」とガッチリ握手を交わしてしまっていたのでした。
 しかし、不真面目な学生であった私は、学生漢方サークルである「赭鞭会」に入部はしたものの完全な幽霊部員で過ごし、もっぱらサッカーとスキーに明け暮れる学生生活を送りました。

寺澤先生が「入局の約束」をすっかり忘れて下さっていたように思えたのを幸いと初心はどこへやら、漢方医学とは全く無縁の学生生活を過ごしたのでした。

 三回目の漢方医学との出会いは大学四年の時に起こりました。スキー部の先輩が紹介してくれた家庭教師のアルバイト先がなんと当時富山県立中央病院の和漢診療科の科長をしておられた伊藤隆先生のお宅だったのです。五歳と三歳の兄妹の勉強をみるという家庭教師というよりもベビーシッターに近い役目を終えると、家族の夕食にご一緒させていただくのが常で、そこで伊藤先生から漢方医学の魅力あふれるお話を毎週のように伺ったのでした。

アルバイト代もいただいており、今にして思えば大変に贅沢な時間でした。この三回の漢方との出会いを経て、私は富山医科薬科大学和漢診療学講座へ入局し、以後、漢方医としての人生を送っています。偶然のような三回の出会いでしたが、今振り返れば、その中のどの一つが欠けていても私は漢方医になっていないように思います。そう考えると私が漢方医になったのは偶然ではなく、天命のようなものなのかもしれません。天命ならば私にも漢方医としてなすべき役目があるのではないかと思います。ちょうど今年私は五十歳を迎えます。論語に曰く「五十にして天命を知る」。自分の役割をしっかりと認識し、成すべき仕事をしっかりと成し遂げられればと願っています。