リレーエッセイ

私と漢方との出会い

私と漢方との出会い

リレーエッセイ | 第14号投稿記事(2023年10月)  間宮 敬子 先生

私と漢方との出会い

間宮 敬子

信州大学医学部附属病院
信州がんセンター緩和部門 教授

 
 私は島根医科大学出身ですが、大学時代漢方の講義はありませんでした。臨床実習でも漢方薬を処方している症例を経験したことはあまりなかったと記憶しています。
 結婚して、旭川医科大学麻酔科学講座に入局してびっくりしたのは故・小川秀道麻酔科教授の外来です。中国からの研究留学の先生が常に1~2名いらっしゃり、診察室の机の上には保険適用がある漢方薬のスタンプがそろっており、西洋薬、神経ブロック、鍼治療、漢方治療を併用してペインクリニックを実践されていました。今考えると夢の様な外来ですが、当時の常識に照らせば得体のしれない不思議な外来だと思っていました。数年後外来医長を拝命して、教授の外来を手伝うように言われたのですが、漢方薬がさっぱりわからず、中国から留学されていた先生に教えていただいたり、漢方薬を覚えるために漢方薬の名前を漢字で書き、いわゆる「書き取りの練習」をやったりしていました。時々、西洋薬で治らなかった患者さんの症状が漢方薬で治る様子を目の当たりにして「すごい」と思うと同時に、それでもなお漢方薬の効果をあまり信じられなかった私は「偉い教授が漢方を処方するから良くなるんでしょう」といった認識でした。
 小川教授の退官後、次の教授が赴任されるまで、ペインクリニック外来を諸先輩方と引継ぎましたが、ペインクリニックを真剣にやればやるほど、通常の西洋医学や神経ブロックでは治せない症例にたくさん出会いました。その度ごとに小川教授の外来を思い出し、鍼治療を行ったり漢方を処方し始めました。その中で片頭痛の女性で若い頃からNSAIDsやたくさんの西洋薬を使用され、慢性腎不全になられた患者さんの紹介がありました。その患者さんに神経ブロックを施行すると同時に呉茱萸湯を処方し奏功しました。それから漢方薬を真面目に勉強しようと思い始めました。新しい教授が就任され、私自身はアメリカに3年間研究留学いたしました。アメリカで色々な人と出会い、日本発の医学として漢方医学は必要でないかと思うようにもなりました。また帰国する頃、自分自身が仕事の関係で少し鬱っぽくなり食欲もなく、喉が詰まる感じがして痩せてしまいました。帰国後すぐに半夏厚朴湯を内服し、劇的な改善を得ました。留学に帯同した娘は4歳から7歳までをアメリカで過ごしましたが、帰国後は日本語があまりしゃべれず易怒的になったのですが、抑肝散を処方するとその症状も劇的に改善しました。
 その後、再び旭川医科大学のペインクリニック外来を任され、日々研鑽する中で、日本東洋医学会の漢方専門医を目指そうと決意し、退官後の小川教授にお願いして御指導いただきました。無事専門医試験に合格したころ、医学教育の教授から選択必須の講義15コマを漢方にあてたいので、コーディネーターにならないかという打診がありました。学内外の漢方に興味がある先生や専門医の先生方に相談させていただき、また学生にもアンケートをとり、15コマのカリキュラムを作成し、2010年度より旭川医科大学で漢方医学の講義を始めました。5年間継続したところで、2015年より信州大学に赴任が決まり、旭川の講義は現在産婦人科の教授でいらっしゃる加藤育民先生が中心となって引き継いでいただきました。

信州では2016年から必須の漢方の講義6コマを任され、今年で8年目になります。学生さんたちが西洋医学を学ぶ中で、漢方という別のツールもあるのだということを教えることが私の役目であると考えています。私のささやかな野望は、私が教えた学生さんが漢方薬を日常のこととして処方できる医師に育つことです。いつも講義の最後に使うスライドには、「西洋薬と漢方薬を使いこなせる様になるということはバイリンガルになるようなもの」と書いております。

現在、私は臨床では緩和ケアやペインクリニックで漢方を処方させていただいております。今なお日々驚きや発見の連続でもあり、漢方薬を学ぶことを一生辞められないなと感じています。私に漢方の「いろは」を教えて下さった小川教授や中国からの留学生の先生方に感謝しながら、日々精進を続けていきたいと考えています。