日本漢方医学教育振興財団 理事
九州大学名誉教授
日本病院総合診療医学会 名誉理事長 最高顧問
小生が育ったのは山口県下関市で、源平合戦があった関門海峡・壇ノ浦があり、幕末に奇兵隊を創設した高杉晋作の銅像がありで、歴史を身近に感じられ、歴史に興味を持ち、はまっていった。高校時代には友人が驚くほどの日本史通(?)となった。このようなことから、この分野に進もうとしたため、医学部進学を望んでいた両親との確執があり、大学に入学するのに時間がかかってしまった。浪人時代から大学時代は山岡壮八の「徳川家康」に始まり、司馬遼太郎の歴史小説はほとんど読破。
また、東邦大学医学部では1にサッカー、2にサッカー、3、4、は無くて、5にサッカーの生活を6年生の夏休みまでした。従って、医師国家試験にはそれまでの不勉強を取り戻すため、Z旗を揚げて(皇国の興廃この一戦にあり・・・)の勉強であったが、吉川英治の「三国志演義」を紹介されたのが運の尽きで、試験勉強との両立に苦しみながらも中国の歴史の古さに感動しつつ読んでしまった。しかし、その中で剛勇の関羽の腕の手術をし、魏の国の曹操の治療をした華佗の存在を知り、中国そして漢方医学の歴史の古さに驚いた(このころの日本は邪馬台国)。
1975年大学を卒業後、九州大学医学部第1内科に入局。沖縄県八重山地区におけるB型肝炎ウイルスの疫学研究では、住民の採血、採血の日々で、「吸血鬼先生」とも呼ばれた。そのようなことから臨床的には感染症と肝疾患に携わることになった。
この間、漢方の「か」の時にも触れることはなかったが、1988年に九州大学の総合診療科の立ち上げに参画し、1995年に総合診療医として漢方医学に接するようになった。2001年教授に就任してから漢方外来を設立し、当時飯塚病院におられた貝沼茂三郎先生(現在、富山大学附属病院 漢方診療科特命教授)に来ていただいた。
この頃、ゴルフに狂い始めていた小生にある女性患者が夏坂健のゴルフ・エッセー「されどゴルフ」を紹介してくれた。ゴルフの歴史、逸話などがユーモアを交えて書いてあり、これまた、はまってしまった。以上、小生の趣味は歴史関連の読書とゴルフであるが、病膏肓に入り、二木一白のペンネームで「ゴルフ四方山話」を出版してしまった。
閑話休題。
2007年頃NHKの知るを楽しむシリーズの「漢方なるほど物語」を読んで驚いた。明治維新の頃の漢方医の浅田宗伯がフランスの駐日公使レオン・ロッシュの全身倦怠感を桂枝加朮附湯の処方でほぼ直したとのこと。兎に角、高齢者は多くの疾患、症状があり、漢方薬が適していると思う。小生もその一人であるが、ゴルフのスタート前には元気を出そう「補中益気湯」?最近、腰から脚にかけて痛みがあり、ゴルフの調子も良くない「疎経活血湯」?ミスショットをすると頭に血が上る「抑肝散」?次は「漢方四方山話」を出版したい。