日本漢方医学教育振興財団 理事
獨協医科大学 医学部 麻酔科学講座 主任教授
医学生の頃,漢方医学の講義はなく,漢方医学に出会ったのは,卒後に麻酔科に入局して先代の北島敏光名誉教授のペインクリニック外来に配属されてからだったと記憶しています.北島敏光先生は麻酔,ペインクリニックに加えて中医学にも精通されており,日本東洋医学会栃木県部会でも部会長をなさっておられました.したがって,北島敏光先生の外来に偶然にも配属されて患者さんの治療に困った際に漢方薬を教えてもらったことが,私の漢方との最初の出会いとなります.その時分は「方証相対」や「弁証論治」などという概念を全く知らず,「膝を痛がる患者さんに対して,膝関節に水が溜まっていれば薏以仁湯,溜まっていなければ疎経活血湯!」と,ご指導を十分に理解せずに処方していたこともありました.誤治の原因以外の何物でもありませんでしたね….
十年ほど経ったころに感冒に罹患しました.40℃の発熱,悪寒,節々が痛む,解熱剤の効果はほんの1-2時間(平成中期なので,それまでは風邪をひいても仕事を休みませんでしたが,この時はさすがに出勤できませんでした).救急外来に行くべきかと頭によぎったその時,ふと麻黄湯を持っていたのを思い出しました.一縷の望みを麻黄湯に託して服用し,床に入って少し経つと,「あれ,ちょっと楽かも?」と感じ,もう一度服用した後は少し寝入ってしまい,目を覚ますと,ぐっしょりと汗をかいてます.そして,熱は下がって身体も楽になっていました.「麻黄湯は凄い!」と漢方薬の薬効に心底ほれ込み,この時に「もっと漢方医学を勉強したい」と思ったのです.
その後,入局して20年ほど経過したころに,日本東洋医学会栃木県部会副会長を務めておられた開業医の手塚隆夫先生(精神科で開業されている,宇都宮市で最も患者数の多いクリニックの先生です)のもとで週に1回,偶然ですが外来診療と漢方医学を教わることとなりました.(そのクリニックは所属していた医局員の実家であり,その医局員から人手不足だから手伝えと云われたのです).手塚先生の教えは日本東洋医学会の教えに基づいたものであり,少し漢方医学を勉強していた私は漢方医学をさらに学び直しました.そして,日本東洋医学会栃木県部会や日本疼痛漢方研究会で発表や論文報告を重ね,気がついた時には日本東洋医学会栃木県部会の事務局長,副会長や日本疼痛漢方研究会の世話人,獨協医科大学東洋医学研究会サークルの顧問,獨協医科大学での東洋医学講義を一人で5コマ行い,病院唯一の漢方指導医として過ごす毎日となっていました.
このように,「私と漢方との出会い」は①北島敏光先生との出会いと教授外来への配属,②感冒罹患の際に実感した麻黄湯,③偶然にも手塚隆夫先生の外来をお手伝いさせていただくことになった,という10年ごとの3回の出会いがあったのです.出会い,本当に偶然ですが,これが無ければ私は漢方医学を学び続けようとは思わなかったでしょう.本稿執筆にあたって思い出してみると,縁(運命?)とは不思議なもの,と今更ながら思っております.