富山大学医学部 和漢診療学講座 准教授
私が医学科3年生として臨床医学を学んで一番ショックを受けたのは「病気って治らないんだなあ」ということでした。この頃から、「私は将来、医者としてやっていけるのか?」と深く悩むようになり、前庭神経炎で耳鼻科に1か月入院するなど精神的に行き詰まった生活をしていました。退院後、和漢医薬学総合研究所の難波恒雄先生の研究室に在籍されていた先輩から、インドの古典医学アーユルヴェーダについて教わる機会がありました。生薬を使った治療、内科診断学とは異なる舌診・脈診などの技術、トリドーシャ理論などが新鮮に感じられました。
それらの本に夢中になっていた頃に始まった講義が、寺澤捷年初代教授の和漢診療学でした。当時の私には漢方医学がアーユルヴェーダに似ているように感じられました。先輩から「和漢診療学講座に入局したら、西洋医学的な薬と、漢方薬の両方が使えるようになるので、手数が倍になる。」と言われたのに感動した私は、臨床実習期間が終了した翌週には、和漢診療学講座への入局を決めてしまいました。
和漢診療学講座に就職後、内科研修を経て、消化器単科の病院で消化器内視鏡研修を受けて大学に戻った私の頭の中は、完全に西洋医学に占拠されており、和漢診療学への適応に苦しみました。そのころ、20代の全結腸型の潰瘍性大腸炎の女性が、他院に入院中にも関わらず、寺澤教授外来を受診されました。ステロイドパルス療法後、ステロイド剤を漸減する毎に再燃を繰り返したことから全結腸切除を提案されていて、「漢方治療が無効なら手術を受ける」約束で、まさに『崖っぷち』の状態で紹介受診されたのでした。寺澤教授が処方されたのは、「帰耆建中湯」でした。私は不謹慎にも「早く手術した方が安全なのではないか」と内心思っていました。ところが、再診時にその患者が言われたのは「内服を始めて数日で粘血便が止まった」その後も順調にステロイド剤の漸減が進み、結局、漢方治療開始後、その患者は一度も再燃することなく、手術を受けることなく退院してしまいました。「あの重症患者が、煎薬で回復した」現実に強い衝撃を受けました。
「帰耆建中湯は華岡青洲の創方だ。」と寺澤先生に教わった私は、早々に和歌山県の青洲の里に行き、華岡青洲先生の墓前で「漢方の勉強に邁進します」と宣言してきて、今に至ります。学問は奥深く、まだ道半ばです。引き続き和漢診療学の道を進んでいきたいと思います。